あたらしい党

2018.12.31

祖父がくれたもの

こんにちは。

いよいよ2018年が終わろうとしていますね。
皆さんにとっての2018年はいかがでしたでしょうか。

私にとって一番大きかった出来事は2月に大好きだった祖父が亡くなったことです。

学生時代に御墓参りに訪れた尾道の向かいにある向島で

本当にこれは自分にとって大きな出来事で、今年の最後は改めて自分に向き合うために、それを振り返りたいと思います。

終戦を17歳で迎えた祖父

昭和3年生まれの祖父は89歳で亡くなりました。曾祖父の仕事の都合で呉市にいた祖父は17歳で戦後を迎えました。
たまたま尾道に帰っていて空襲から難を逃れた話や闇米を売って歩いた話、何にもしてないのに学校を卒業した話など今年の1月2日に病院に運ばれて(朝、家を訪ねたら震えが止まらないと言うので、私が救急車を呼んだことを思い出しました…)、最後に話した会話が忘れられません。

画家になりたかった祖父でしたが、生活に余裕もなくいくつかの職を経たのち、新しい警察ができると言われて入ったのが警察予備隊(今の自衛隊ですね)でした。

故郷は祖父がたまたま住んだ街

自衛隊を定年まで勤め上げた祖父でしたが、最後に駐屯した広島県安芸郡海田町からほど近い青崎というところで、退職して程なく書道教室を開いたと聞きました。
いつ書道の練習したのかと聞くと、自衛隊に勤めている時に夜中まで書いてたと聞いた時には改めて尊敬したものでした。

そして、その頃に広島市安芸区の山奥に自宅を構えた場所が、私が3歳ころから育つことになった「故郷」です。

約30年前に祖父と

山あいの小さなまちだったので、学校からの帰り道に誰かと会えば必ず「ただいま帰りました!」と言っていたのが、懐かしいです。

与えられたストーリーから自らつくるストーリーへ

そして今私は、祖父がそうだったように、たまたま住んだ横浜市鶴見区を息子たちの「故郷」をつくる気持ちで日々を過ごしています。

そんなふうに素直に心から思えるよう手助けしてくれたのは、祖父が亡くなり何も為すことのできず、通夜の前に尾道市役所を訪ねて戸籍を紐解いて、代々柏原家が住んだ土地を訪れ、家系図をつくったことだったかもしれません。

とにかく吹っ切れました。

広島の故郷のために何かできることは?という問いから、人生をかけて自分が追求したい価値や挑戦したいことは何か?という問いに大きく舵を切ることができました。

今、鶴見駅西口からすぐの豊岡小学校体育館で活動しているサッカークラブ

「つるみタダイマFC」も、政治活動も私の思いは同じです。

鶴見区内の公園で子供たちと

子どもたちにはできないけど、自分にはできることを少しずつ始めてみただけなんです。

一つ一つのアクションは「ただいま」にぶら下がるタグ

皆さんにとって、故郷とは何でしょうか。

たまたま出会ったパートナーと長い時間を共に過ごすように、たまたま縁あって住んだ場所でも愛して情熱を注げば、もしかしたら帰えりたくなる「ホーム」になるかもしれません。

「ただいま」と言える場所が複数ある。

私は、これが人生を豊かに過ごすキーだと思います。

子どもたちには1つ目のただいまと言える場所として家庭を。2つ目に仲間を。3つ目に地域を。

これが当たり前に与えられる社会をつくっていきたいと思います。

 

私の行動は全部「ただいま」からぶら下がっているただのタグなんです。

ちょっとオーバーかもしれませんが、そんな気がしています。

 

それでは、皆さま良いお年を。

 

亡き祖父柏原戊辰を思い、素直に誓って年末のご挨拶といたします。

2018年12月31日 柏原傑