仕事=力×距離だとすれば、距離=0の場合は仕事ゼロ。成果とは、付加価値とは?

こんばんは。柏原傑です。

今日は後で振り返ったら節目の日と言えるだろうか?

詳細は割愛するが、やっぱり行動に移して初めて得られる気づきがあって、割り切れなさを抱えながら留まることで得られた悔しさがある。

ちょうど昨年大きな挑戦をしてから一年が経ち、当時自分が発していた言葉や抱いていた思い、日々の行動と今の自分自身のあり様を比べて、進歩や前進はあるか?付加価値を生み出せているか?と問う機会がここ最近あった。

はっきり言って過ぎ去った過去と比べることに対外的な意味は無い。自己の整理と動機付けに役に立つくらいで、それ自体が何か価値を生むようなことでもなく、思索そのものにどうしようも無い歯痒さを感じる。

最近、没頭するように安宅和人さんの著者「シン・ニホン」を読んでいて、仕事の定義は何か?という問いかけがありました。

高1くらいの物理で習います。「仕事」=力×距離だと。

単なる努力、試み自体には意味がなく自己満足、浪費に過ぎない。生み出す変化がなければゼロ、完遂されない仕事は意味の持ちようがないということだ。

シン・ニホン 安宅和人

いや、これ残酷。ほんとシンプルで変わらない本質なのかもしれないし、正直なところ、凹みました。そして、今こそ自分に投げかけるべき問いであり、投げかけ続けねばならない問いでもあると感じた。

どんなに力をかけても、進まない(成果がでない)のであれば、そもそも対象を間違えているのかもしれない。

でも、トライ&エラーでただただ続けることで生まれる価値だってあるはずだとも思う。勿論、ずっと同じやり方でただただやっていても無駄かもしれない。けれど、続けることで価値が生まれることもあるかもしれない。似たような過去や事例はあっても全く同じ条件ということはあり得ないわけだから。

歴史に学びデータに基づきはするけれど、結果を急ぐあまり成果から遠のいてはいやしないだろうか。そして、すぐに成果のわかるものに飛びつきたい自身の本性を自覚した方がいいのではないだろうか。

今が未来から見て最初の日。遅すぎるってことはない。

いよいよ桜の季節。季節に重ねてはドラマ仕立てに記憶を華美に記録することも、明日の種にきっとなる。そう信じますか、とりあえず。

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