駅頭に立って何か意味があるんでしょうか?政治家が駅に立つ意味とは…
こんにちは。柏原すぐるです。
9月より駅頭活動を再スタートさせて早2カ月が過ぎました。
駅に立つって何なんでしょうね。
— 柏原すぐる/日本維新の会/横浜市鶴見区市政担当 (@SuguruHem) October 29, 2022
「挑戦する本人」タスキって、時々笑って会釈してくれる方がいても、全く大道芸人には及ばないし、一見不要不急に見えるんだけど、パブリックな空間に添えるエモーショナルで人間ぽい営みの一つなんでしょうか。
どうせなら楽しんでいこーぜ、みんな(誰のつもりや) pic.twitter.com/iWgatGx5yw
と…投稿するように、一心不乱に駅に立ってゴリゴリ政治思想を高らかにお訴えしています!というよりも、
「そもそも政治に期待しない」「そもそもあなた誰ですか?」「ん?どうした?」というくらいの期待度と低い低い知名度をスタートラインに、少しでもご関心をいただき、お一人おひとりそれぞれの主体的な問題意識やご自身の将来あるいは子供や孫世代の未来への思いを起点に、一歩踏み込んで政治にアクセスいただきたいと思っています。
30人、40人の学級ですら、クラスの目標を全員の話し合いで決めるのは難しいのですから、1億2千万を超えれば、代議制すなわち有権者が選んだ政治家を通じて、意思決定を行うのは仕方ありません。
先ほどのtwitter投稿には続きがありまして、やはり立っているからこそ会話する機会すなわち政治との接点が生まれている事実は駅頭の意味そのものだと思っています。
今日嬉しかったのは、とあるお母さんが、「うちの高校生の息子が政治に関心高くて…声をかけやすかったので話しかけてみました」とお伝えくださったこと。
— 柏原すぐる/日本維新の会/横浜市鶴見区市政担当 (@SuguruHem) October 29, 2022
演説してこちらの考えを伝えるのが先か、関心を持ってもらって少しでも何かを伝えていただくことに配慮すべきか悩みます。
フィルターバブルと言われる時代にあって、そもそも「見ようとしているものしか見ない」傾向がある中で、生身の人間が物理的に表れて、エモーショナルに動いて何かを発することは実は最も有効だったりするかもしれません。
「無関心ではいられるけど、無関係ではいられない」
政治というのはそういうものです。
私は家族に政治に関わるものはいませんでしたので、本当に無縁でした。ゆえに政治に無頓着なまま社会へ出ました。
もしこちらの記事をお読みの方が、政治と接点がないなら、
・政治家のビラを受け取ってみる
・SNSでフォローしてみる
・演説を少し聞いてみる
・政治のニュースを読んでみる
など、ぜひ一歩踏み出してほしいです。
その上で、日本維新の会をご支援いただけるのであれば、大変幸いです。
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