プロフィール

サマリー

  • 1985年4月21日、広島県生まれ、牡牛座、A型、現在1,2,6歳の三男と妻と共に横浜市鶴見区在住
  • 自動車整備士の父、保育士の母、書道家の祖父や祖母、兄や妹と共に山あいでのびのび育つ
  • 6歳からサッカーを始め、主な実績はU-15全国ベスト16、広島県高校総体優秀選手。
  • 2009年 千葉大学工学部建築学科(在学当時はデザイン工学科建築系)卒。1年間の休学中に建築家谷尻誠氏に師事、欧州20か国を訪問。学生団体代表としてごみ拾い等社会活動を実施。
  • 準大手ゼネコンを経て外資系不動産建設会社に勤務。大手民間企業、外資系企業、地方自治体等を顧客に10年のビジネス経験を積む。
  • 2017年日本政策学校9期卒
  • NPO法人全日本育児普及教会認定講師(2018年〜パパ向け育児講座の講師)
  • 主に幼児を対象としたサッカークラブ「つるみタダイマFC」代表(2018年〜)
  • 2018年政治塾OPEN首席卒業
  • 主な保有資格:一級建築施工管理技士、監理技術者、CCMJ(コンストラクション・マネジャー)、VEリーダー、日本サッカー協会公認D級コーチ

ストーリー

生い立ち

1985年4月21日、広島県にて自動車整備士の父と保育士の母の元で生まれました。

しばらくは公営住宅暮らしでしたが、自衛隊引退後に書道教室を山奥で営む祖父や祖母の近くへ引っ越してからは、兄妹と共に山あいでのびのび育ちました。

大好きだった祖父と
泣いてばかりの次男ぼうでした(写真右)

幼児時代から祖父から書道を習いました。今も文字を書くのが好きなのは祖父譲りです。

 小学生時代

学校まで子どもの足て45分くらいだったと思います。もう歩けばやることがないので、物思いにふけったり道草したり走ったり歌ったり、今思えば充実した時間だったのかもしれません。鹿や猿、蛇や昆虫、いろんな出会いもありました。

それから、兄を真似して6歳からサッカーを始めまして、もうそれからはサッカー漬け。高学年の頃からサッカーノートを書き始めたのを思い出します。 チームやコミュニティの中で貢献する楽しさをサッカーから教わりました。

書道も6年生までは続けました。

サッカークラブのみんなと
中学、高校時代

サッカーをクラブチームで続けました。中学3年生の時には中国地方で優勝し、U-15高円宮杯全国大会でベスト16まで勝ち上がりました。チームで何かを実現する喜びや個としていかに闘うかというメンタリティを知りました。一方、上には上がいて、Jリーガーを夢みるもそう簡単ではないと感じ始めたのもこの頃でした。

試合の様子

高校時代は学校のサッカー部に所属し、結果としてはチームで県大会ベスト4、個人で広島県高校総体優秀選手に選出されました。ただ、高校に入って身長が止まり少なからずあった奢りから挫折も味わいました。

勉学の方では何も疑わずに高校の授業に没頭していましたが、恋愛やアルバイト、サッカーを通じてできた他校も含む仲間との親交が経験の幅を広げてくれました。

部室で仲間と

サッカー部引退後は、ものをつくるのが好きという単純な理由で建築学科を志し、高校の美術の先生を頼ってデッサンを学びました。

進路は、造形の試験を選択できて東京圏で受験費用や学費の安価な国公立という条件から千葉大学に絞り受験、2004年に同大学工学部デザイン工学科建築系に入学しました。

大学時代

正直なところ苦しかった印象が大きいです。今も毎月支払っている奨学金とバイト代を原資に生活していたことも一つの背景にあります。

進学してからは、プロを目指さないと決めたサッカーを止めて、建築家になるってどういうこと?という問いを立てながら、大学の授業の他建築士事務所で働いてみたり、先輩や教授に問いをぶつけてみたり、バーテンダーの立場を通じて出会う経営者や政治家の方から話を聞いてみたりと、とにかく多感に好奇心旺盛に動き回った2年間でした。

ルームシェアして仲間と集ってました

ただ、「何かにならなくちゃいけない」というお題が自らを苦しめました。

2年次も終わりが見えてくる頃には何のために3年生やるの?と多少はマシな問いを立てれるようになり、思いました。

  • 日本古今東西の名建築を訪ねてみたけど、近代建築のルーツである西洋建築を知らない。一度はこの目でまず見たいよな。机上じゃ分からない。
  • そして、本気で建築家になるならお金もないし地元だろう、だったら広島で一番かっこいいと思える建築家を訪ねよう。

結果として、建築家の谷尻誠さんを訪ねて僅かに仕事を学びつつ、バイトで資金をつくって約4か月間は欧州を旅してまわりました。

「建築から一度離れよう」

それが、旅から戻って復学する頃に心に浮かんだ本心でした。

行って気づいたんです。雑誌に載る奇抜な新しい建築が、実は景観調和的で歴史ある建造物に囲まれている事実に。浮き立つような図と地の関係性。ただ、つくるのではない。文化であり制度であり、仕組みや歴史感や価値感の違い。分かったのは、自分自身に内在する価値観の欠如でした。


その後は、必修科目以外に経済学や心理学、デザインなど気になる授業を履修したり、本を貪り読んだり。一方で、「菜根譚」というお店に出戻って、カウンター越しに自分の仮説をぶつけたりしていました。


また、社会課題に取り組む個人をバックアップするプラットホームを意図して、学生団体を立ち上げ運営していた時期もありました。けれど、個人の熱よりも「社会善」や「あるべき姿」が先行する頭でっかちな考えで、年次も3年から4年へと移り結局は自らの「どうしてもやりたい何か」ではなかったことから、団体の活動としても尻すぼみとなってしまいました。今でもその時の仲間には申し訳ないと思っています。
この経験から、何かを立ち上げるのであれば自分自身の確かな熱なしに人を巻き込んだらダメだと刻んでいます。

社会に出てから


大学卒業後、現場監督になりました。簡単に言えば建設現場に常駐して、設計図を元に重層下請け構造の建設生産体制をマネジメントし、使って喜んでもらえる建物を引き渡す仕事です。

建築家じゃなかったの?と自分でも振り返りますが、どれだけ完成済みの建物に訪れても、作っている過程を全然知らないし、知りたいなら1番初めに飛び込んだ方がいいよね。しかも、大勢で成し遂げるからサッカーやってきた自分とも相性いいかも。それが直感的に思ったことでした。

机上と現場は違うねんコラァ

もうね、待ってましたよ。仮囲いという檻の中の動物たちが好物を?

※更新中…

準大手ゼネコンを経て、2014年より外資系不動産建設会社に勤務。

横浜に来てから


地域では育児講座の講師を務め、サッカークラブ「つるみタダイマFC」代表。


2017年日本政策学校9期卒。政治塾OPEN首席卒業。